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映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』-自分の思想を持つこと

最近面白い映画が続いてますね。ミッドサマーも観たいけど、怖いと聞いて保留中。

 

三島由紀夫のことは「切腹した右翼の日本人?」という認識しかありませんでしたが、まぁなんか熱くて面白そうだし…と思ってこの映画を観ました。

 

 

○内容

 

東大900番教室での、三島由紀夫と東大全共闘との論争。TBSが当時の討論を記録したフィルムと、現在の関係者への取材がまとまっています。

 

三島由紀夫はその衝撃的な死に注目されがちですが、この作品では大きく取り上げられていません。

 

以下の議題を定め、三島由紀夫と東大全共闘は討論します。

 

***Wikipediaより引用***

 

「われわれはキチガイではない」、「自我と肉体」、「他者の存在とは?」、「自然対人間」、「階級闘争と〈自然〉に帰る闘い」、「ゲームあるいは遊戯における時間と空間」、「持続と関係づけの論理」、「天皇と民衆をつなぐメンタリティ」、「〈過去・現在・未来〉の考え方」、「観念と現実における〈美〉」、「天皇とフリー・セックスと神人分離の思想」、「ものとことばと芸術の限界」、「〈天皇・三島・全共闘〉という名前について」、「われわれはやはり敵対しなければならぬ」の14のテーマにわたり、激しく討論が行われた。

***引用終わり***

 

劇中では主に、「他者の存在とは?」、「自然対人間」、「ゲームあるいは遊戯における時間と空間」、「持続と関係づけの論理」「われわれはやはり敵対しなければならぬ」についての議論が取り上げられていました。

 

 

 

 

○感想

 

それぞれの思想は異なるものの、お互いの言葉を理解しようと歩み寄り、論破するのではなく議論を展開することを楽しんでいるようにも見える討論会。メディアの使い方がわかっている三島由紀夫と、演者でアーティストの芥正彦による舞台のようでもありました。

 

めちゃくちゃに頭のいい人たちの議論、難しくてついていけないところが多々あるものの、ゾクゾクする面白さがありました。友人と見に行ったのですが、その友人は今回劇中議題としてあげられていたことを、自分でも考えたことがあるそうでびっくり。私にとっては考えてもみなかったことばかりでした。

 

登場人物は一般人にもかかわらず、個性の強い方ばかりでした。現在の彼らにインタビューしているのですが、現在70歳前後なのに年齢よりもエネルギッシュな感じを受けます。

三島由紀夫をリーダーとしていた「楯の会」の初期メンバーや、東大全共闘三島由紀夫の討論会を企画した木村修さん、討論会で幼児を抱えながら鋭い指摘をする芥正彦さん(この人のキャラクターが最高だった!)、現在三島由紀夫を研究する内田樹平野啓一郎。(平野さんの本は小説しか読んだことありません。)

 

 

芥正彦さん、今も個性的。

 

 

 

内田樹さん、すごい熱量で語る人でした。面白そうだったので著書をポチ。

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

 

 

平野啓一郎さん、三島由紀夫の再来と呼ばれていたそうです(知らなかった)。最近読んだやつ。

 

 

 

 

ちょっと脱線。

 

たまたまこの映画を観る前に、バンクシーの展示に行っていました。(この時初めてバンクシーがどんなアーティストなのか知った。)

バンクシー展では、彼の作品とともにこんなメッセージが。

 

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バンクシーは「世界をより良くしようとする者は危険だ」と言います。バンクシーは警察官(=権威)を否定するし、正義を振りかざす者はむしろ罪の意識のない加害者と考えているのかなと思いました。

 

本題にと戻ると、三島由紀夫にしても東大全共闘にしても、日本を良くしたいと考えているように思えます。彼ら自身はそれを正しいことだと信じ、その信念のもと行動しましたが、バンクシーに言わせると、それは危険なことなのでしょうか。

 

(三島由紀夫も東大全共闘も、「日本をよくしたい」というよりも、「戦後から今まで、アメリカに支配される構図から脱却すべき」と考えた。というのが正確かもしれません。)

 

1日の中で複数の思想に触れると、関連させて考えを広げられていいですね。

 

脱線終わり。

 

 

 

 

三島由紀夫の世代は、国の興亡と彼ら個人の運命が完全にリンクしているそうです。戦争に行き、負ければ自分自身の命がなくなる。そんな立場だったからこそ、自分は日本人だと強く自負していたのでしょうか。

 

討論会では芥正彦に、「日本人という枠に囚われ、そこから抜け出せなくなっているのではないか?日本という国がなくなったとき、あなたのアイデンティティはなくなるのか?」と詰め寄られていました。芥の主張は「私は私個人として独立し、日本という国がなくても存在する」というものでした。

 

今の私たち世代は、芥さんに近いと思います。しかし都合の良い時だけ、「日本人を誇りに思う。(ドヤ顔)」なんてしてないでしょうか。そして都合が悪くなると、国は何もしてくれなと、自分自身が国のために行動していない割に文句を言っていないでしょうか。

この映画を思い出します。

 

"ask not what your country can do for you, but what you can do for your country.”

 

 

 

また、作品の中身自体ではなく、彼らが討論していく様子をすごいと思ったのですが、あの流れるようにお互いの意見を交わし合う議論はどうしたらできるのでしょうか。

議論することを難しいと感じるタイミングは2つあると思っていて、1つ目は単純で、自身の思考が遅く会話のスピードについていけないとき。これはトレーニングによって克服できるはず。恥を描くのを恐れず、語り合える環境に身を置くと良いと思う。私はかっこつけるから議論がうまくなりません。

もう2つ目はそのテーマについて知識が足りなかったり、考えたことがなかったりするとき。思想というと高尚ですが、自分の意見を持つためには、まずは知ることと考えることが必要と思いますが、これは興味がないとなかなか鍛えることが難しい。

趣味についてなら何時間でも話せるというのは、この2つ目が強いからですが、こちらもわたしには熱く語れるほど興味が持てない。

 

あの熱く語り合う様子が羨ましかったので、もっとトレーニングしたいです。知識も増やしたい。考えるのはこのブログを使って練習するつもりで。

 

 

おしまい。