みたら書く

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映画『蜜蜂と遠雷』-好きであり続けることの難しさ

映画中ずっと流れる音楽が素敵でした。 

 

◯あらすじ

 

主人公・栄伝亜夜は、かつて天才少女と言われていました。しかし自分にピアノを教えてくれていた母親の死をきっかけに、ピアノを弾くことができなくなってしまいます。そこから数年の沈黙を破ってコンクールに出場し、ピアニストとして再起を図ります。

 

コンクールではライバルとして、サラリーマンで家庭を持つ高島明石、亜夜の幼馴染であり人気実力を兼ね備えたマサル、今は亡き巨匠に推薦された謎の少年・風間塵の3人が登場します。

 

 

◯感想

 

なにかを好きだと思うこと、そう思い続けることの難しさについて、この作品は描いているのだなと思いました。

 

作品中、ずっと亜夜は迷っていて不安げです。

 

それに反して謎の少年・風間はずっとニコニコしていて、ものすごく楽しそうにピアノを弾いています。ピアノが好きで好きでたまらないんだなあというのがよくわかります。

 

(ちなみに風間役は新人の鈴鹿央人。めちゃめちゃ可愛いです。)

 

この二人が、月夜のもとで連弾するシーンがあります。月に照らされた二人が楽しそうに演奏する様子がすごく綺麗です。もちろん演奏されるピアノの音も、キラキラとして美しい。

 

このシーンで風間は「お姉さんはピアノ好き?僕は好きだよ。」というセリフを言います。

 

亜夜は自分もピアノが好きだと答えます。ただ、風間少年のようにまっすぐではなく、自分に言い聞かせるような様子が見えます。

 

このあとコンテストは進み、オーケストラとコンチェルトを演奏することになります。

(※コンチェルト・・・協奏曲。独奏楽器とオーケストラとが一緒になって演奏する。)

 

幼少期、亜夜は母親が亡くなってすぐに演奏会に出なければいけませんでした。そこではコンチェルトを演奏することになっていました。亜夜にピアノの楽しさを教えたのは母親です。その人を失い、傷つき、その演奏会ではピアノを弾くことができませんでした。このことがトラウマになってしまい、長く表舞台から姿を消していました。

 

そんな過去があるなかで、コンクールの課題としてコンチェルトをやらねばなりませんでした。やはりトラウマが蘇り、亜夜は逃げ出してしまいます。しかし風間が彼女を呼び戻します。

風間と出会い、亜夜の中にあるピアノが好きという気持ちが戻ったのだと思います。

  

知人とこの映画のことを話していて、最後がよくわからなかったねと言われました。

 

コンテストで優勝するのはマサルです。彼は他の人となにが違ったのでしょうか。

 

マサルは今の時代に求められる正確さを持って演奏をして、評価されました。好きで楽しくてピアノを弾いている風間、好きを思い出しピアノと向き合えるよう立ち直れた亜夜は次点となります。

 

好きという気持ちは周りからは評価されないけれども、評価される物を作り上げるために、向き合い続けるためには必要なものです。

しかし、本来演奏者として求められているのは、周りが求めるものを作ることです。

聴く側にとっては、本人がどんな気持ちで演奏に取り組んでいるかは関係ないのです。

 

マサルは彼の先生に、言った通りに正確な演奏をしなさいと言われます。しかし途中それに歯向かった演奏をすることもありました。

板挟みになりながらも、向き合い続けたマサルは、周囲に求められている音楽を、かつ自分自身が納得できる音楽を作ることができました。その結果1位を取れたのではないかと私は感じました。

 

監督の意図するところと合っているのか、また原作者の意図はどうなのか、わかりません。

また後日、原作を読んでみようと思います。

 

おしまい

 

 

○原作

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫