衝撃でした。さすが傑作。
書いてあることが現実のことであれば、気持ち悪く拒否してしまいそうなのに、小説だからか、描き方が巧みだからか、この変態性に共感できてしまいました。
しかしそんな自分に嫌悪感もある。
けれどどうしようもなくたまらないと思う、のは何故なのでしょうか。
最近フェミニズムを学んでいる身からすると、典型的なミソジニストの話、なのに。
○内容
カフェで給仕をしていた十五のナオミを預かり、理想の女へと教育し妻とした譲治。
彼女の西洋的な美しさに憧れ、そんな彼女を妻とすることを自慢に思いながら過ごす。
しかし彼女は奔放であり、複数の男たちと浮気を繰り返す。
許せないと激昂しながらも、いつも彼女の魅力に屈していく。
○感想
たまらなく良かった。でも混乱しています。
主人公の十五の小娘を好みの女に育ててやろうという思い上がり、そして育てたその小娘を性の対象とし欲情する日本人らしいロリコン気質、彼女の美しさに屈服しながらもそれを支配下に置きたいというおごり、典型的な気持ちの悪い男を描いている。なのに、その男側に共感してしまう。
最近特にフェミニズムを学んでいる理性的な頭では気持ちの悪いやつだと思いながら、私の中にいる、まさしく痴人が、そういう関係性に興奮してしまうこのジレンマがたまりませんでした。混乱する。
わがままで、淫乱で、奔放で、どうしようもないはずの彼女に蹂躙されたいと思うこのフェティッシュな関係に、日本人だから共感できるのでしょうか。それとも、私の中にそんな趣味があるのでしょうか。でもな、どの時代のどの国の絵画を見たって、女の裸は美しいって描かれているし、誰しも思っていることなのでは…と迷走していきます。
私はフェミニストだと思っていたけれど、真逆のミソジニストなのかもしれないと思ってしまう。
ほろ酔いの頭で読んだからか、谷崎潤一郎の世界に入り込んでしまいました。たまらなかった。もう、次読む作品を購入しました。
おしまい。