みたら書く

本や映画の感想を書きます

本『ホモ・デウス(上)』-半年記念!

 

 

『サピエンス全史』の熱が冷めないうちに読みました。

 

 

 

 

○内容

 

今は情報・知識に価値があるため、領土とそこにある物質的な資源を奪うための戦争は起こらなくなった。核兵器も抑止力となっている。

 

国による教育、医療、福祉はその国民の幸せのためではなく、国を強くするために生まれたもの。

 

個人の幸福感は脳内物質による、現象によらない。例えば予想外の昇進も、それそのものが幸福なのではなく、その話を聞いたことにより脳内物質が出るから幸福を感じられる。大喜びした昇進も、その後しばらくすれば慣れ、もう脳内物質は出なくなる。なぜそうなるのか?

生命は進化と繁栄を目的としており、現状よりもっと良くなりたいと願う。資本主義はそれを邁進する。

 

なぜを繰り返すと歴史に帰ることになる。例えば芝生。ヒューマニズム=人間至上主義のもとで永遠の命を得られた未来を、歴史を知ることで想像していく。

 

 

人間至上主義はどう生まれたのか?

 

(以下の投稿で人間至上主義について書きました。)

 

狩猟民族として生活している頃は、人間はただの動物の一種で、周囲へ敬意と怖れを抱いていたのに、農耕を始めると、家畜や農作物という存在はただの資産であるという見方をするようになる。その考え方は動植物相手に留まらず、人間同士でも階級をつけ、下級な人間を「奴隷」という資産とみるようになる。その頃でも神の存在は信じられていたが、その後の科学の進歩により、現在は神さえも消えつつある。

 

狩猟民族であった人間が、農業革命を起こし、宗教革命を起こし、科学革命を起こした結果、人間至上主義が生まれた。

 

人間は神に作られた?自然選択により進化した?

 

キリスト教信者は、大学を卒業していても(修士や博士さえも)、人間は神によりデザインされたと考える人が多い。進化論は批判される。例えば相対性理論は批判されないのに。この違いはなぜ生まれるか?進化論は私たちの信念(魂は永遠不変である)と反するもので受け入れ難いから。

 

心とは何か。主観経験の流れである。お腹が空いたと感じ、食事を取る。これは人間でも動物でも同じ。最新の理論は感覚と情動は生化学的なデータ処理アルゴリズムと主張する。

デカルトの時代(17世紀)には動物はそのような感覚を覚えないとされていた。犬は蹴られたとき不快だと「感じ」て吠えるるのではなく、自動的に吠えるだけだ、機械がブーンと音を立てて動くのと同じように。ペットの犬には気持ちがあると思うのにも関わらず。

 

1950年、チューリングテストというものがあった。同性愛者の数学者チューリングが考案したもので、彼は曰く、コンピューターは将来1950年代の同性愛者と同じようになる、コンピュータに意識があるかどうかは関係なく、肝心なのは他者がそれについてどう思うかだけである。(当時同性愛は違法であり、彼は強制的に去勢処置をされている。)

 

 

人は無関係の他人と協力できるから他の動物より強い。組織しない大衆がどれほど批判しようとも、権力は落ちてこない。デモが誰だかメディアに取り上げられても、組織がなければ結局は変わらない。エジプト革命ルーマニア共産党

他人と協力できるのは想像上のもの、たとえば宗教や紙幣、思想を共有できるから。しかしそれらは時代により突然価値を失うことがある。主観・客観とは別に、共同主観というものがあると言える。これは人間以外持たないものの見方だろう。

さらにその想像を補填するものとして文字がある。

 

 

科学により宗教は弱体化したように見えるが、そうではない。科学は機能を提供するがその使い方を決めるのは宗教の助けが必要になる。

子を堕胎させる能力があっても、堕胎することを是とするかどうかは宗教により異なる考え方があるし、命の始まりをどのタイミングと見るかも異なる。

イデオロギーもある種の宗教と言える、というのはサピエンス全史でも説明されていた通りで、人間至上主義というのは現代において強大な宗教として君臨している。

科学が発展する中で、その使い道を決めるのは人間至上主義という宗教であると言える。

 

ポスト人間至上主義の時代に、科学はどう使われるのかについて下巻で説明される。

 

 

○感想

日本でもやおよろずの神がいたり、アイヌ民族が動植物をカムイ(神)として崇めていたり(≒アニミズム?)、人間至上主義でない時代があったんですよね。しかし農業革命によって、人間が自然を支配できるという勘違いが生まれ、人間至上主義が生まれたと筆者は書いています。

 

この本では、サピエンス全史で語られたことを、別のエピソードでより深く説明していたり、未来のことを想像するヒントとして使っていました。

 

 

 



下巻も既にAmazonで手配済み。楽しみ!

 

 

 

 

☆ブログを始めて半年記念☆

 

思いの外続きました。記事もたくさん書けた。ブログ開設から1ヶ月続く人は70%、6ヶ月続く人は24%だそう。(ソースは謎)

 

割とがんばりましたが、当初の目的を忘れかけているので再掲します。読み返すとなんかふわふわしている。

 

ブログを続けて、できるようになったこと。

・要約できるようになった。

・本をゆっくり読むようになった。(以前は斜め読みしていた。)

・理解するまで読むとか、わからない項目は調べるとか、しつこさが増した。

・調べる時に公式ページを使うようになった。省庁が発表する資料を見るようになった。

 

できていないとわかったこと。

・要約ばかりで感想が書けない。

・自分の仕事や生活と紐付けられていない。

 

 

☆ビジネス書を読んだら

最近は自分の意思・思考を持たないと、ただ流されてしまうから、こうしたいという理想を描けるようになりたいと思っています。自論を展開する時に、今はよく論理が破綻して恥ずかしい思いをしています。でもそうやって人に見せてみて、気付くことでまた考えを深めることができるから、恥ずかしいけどやめない。

 

あと半年後、ブログの文章の中で自論を語れるようになりたいです。そのためにまずは自論を固める必要があると思います。インプットを増やして、思考のヒントを得る、そしてそれを整理して自分の言葉を付け足すようにします。ちょっとずつ。

 

ビジネス本を読む時、ブログをメモとして使いがちなのですが、ただ書き留めるだけでは行動に繋がりませんよね。熱い思いを綴ること自体に意味はない。3月からは内容、感想に加えて「○やること」の項目を追加して書くようにしています。(その「やること」は、将来どんな仕事をしたいという大きな目標のもとにセットするのが理想ですが、まだその目標がなくて寂しい。大目標がないから、いちいち感化されてるんですね。)

記事の数をこなすことと質の向上の両立を、これからの半年の目標とします。

 

 

☆映画を観たら

一度観ただけでは理解できないことが多いなと改めて気付いたので、何故かを考えてみました。おそらく、ネタバレが嫌で事前に出来るだけ情報を入れないようにしているのですが、それが原因だと思います。受賞している映画祭の種類や、監督の過去の作品、ストーリーの歴史的な背景等を知った状態で観た方が楽しいのかもしれない。

 

ただそういうのを調べるのが面倒だから映画で簡単に観たいんですよね。だからやっぱり観る前はなにもしない、観たあとに調べるスタイルのままでいいかな…。

 

 

○書きかけているもの

 

・映画『太平洋の奇跡 フォックス』

・映画『フクシマ50』

・本『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』

・本『スマート・シティビジネス入門』

・本『寝ながら読める構造主義』→これは書いた

・ドキュメンタリードラマ『アウシュビッツ ナチスホロコースト』(AmazonPrime)

 

 

同時進行で何冊も読んだり、書きかけで力付きて放置したりしてます。同時に無関係の作品が同じ題材を扱ってたりすると、多角的に見られる気がして、ここ数年やってます。例えばドラマ『アウシュビッツ』を見てる時に本『ホモ・デウス』の中でフランス系ユダヤ人の話が出てきたり。繋がると楽しい。

 

 

○やること

ブログとTwitter連携したいんですが、なかなか照れる。知人とは無関係なところで、新しくアカウント作ろうかなあ…迷うな…。

 

あとは闇雲に本を選んでいるので、それを改善したい。5分野くらいでわけてみようかな。

 

とりあえずざっくりと分けると、以下のようになります。

・流行りもの、会話のネタ系

・業界の基礎やフレームワーク等仕事関係

・生活に関わること(資産運用や法律)

・歴史や思想、心理学、脳科学

・小説やエッセイ等の娯楽

上の3つは必要だけど、下2つは趣味だという気付き。これで優先度を考えて、読む準備決めようかな。

 

ただ、2ヶ月後に簿記の試験があるので、しばらく本を読む時間を減らします。

 

 

おしまい。