映画『ジョーカー』-可哀想な俺という妄想
映画『ジョーカー』を観て、1ヶ月くらい経ってしまいました。
観た直後、全く共感できないし、理解することもできませんでした。ただ、他の人の感想を読むと、解釈が違って楽しかった。この映画はそこを楽しむのがいいのかも。
◯あらすじ
「バットマン」の悪役ジョーカーの誕生を描いた映画です。
主人公・アーサーは、発作的に笑ってしまう精神病を抱えています。コメディアンを夢見て、病気の母親を献身的に世話しながら生活しています。仕事ではピエロをしていて、道路で看板を持っておどけたり、小児病棟で子供達を楽しませたりしています。
そんな彼がある事件をキッカケに、狂い始め、遂にはジョーカーになってしまいます。
◯感想
色々な見方ができますね。このサイトから飛ぶとたくさん面白いブログが出てくる。
私の見方はこんな感じです。
①社会風刺的。余裕がないときに見捨てられるのは弱者。
先日の、関東に強い台風がきた時のことを思い出しました。
区の避難所がホームレスを拒否したことで物議を醸しました。ホームレスは家がある人よりも更に危険な環境にいるにも関わらず、住民票がその区にないからという理由で、避難させてもらえなかったのです。
ホームレスを受け入れると区民のスペースがなくなり、受け入れなければホームレスの居場所はない。自分たち区民の居場所を守るために、彼らを見捨てた。
私たちは当事者ではなかったからこそ、そんな非人道的なことがあってたまるか!と怒ることができます。しかしその時自分が彼らの後ろに並んでいたら…彼らのために自分の身が危険に晒されることを、素直に受け止められたか自信がありません。
映画の話に戻ると、アーサーのような社会的弱者を救うような福祉を続けるためには、お金が必要なわけです。しかし手厚い福祉には当然お金がかかります。その分税金が上がれば、市民全体に負荷がかかり、景気が悪くなる。景気が悪くなり、仕事を失う人が出てくれば、また社会的弱者が増えてしまう。
…なんて現実は単純ではありませんが、自分が苦しくなると、そんな風に考えてしまいませんか?どんどん視野が狭くなり、彼らが本当に福祉で守る必要はないのではないか、自分はがんばっているのに、彼らは働かずに守ってもらおうとしているのではないか?なんて考えてしまうのではないでしょうか。
冷静に考えれば、そんなことはないとわかるはずです。自分だってずっと強いわけじゃないし、いつでも危うなる可能性があるのだとわかるはずです。
現実の台風の話とフィクションであるこの映画を単純に混同できませんが、余裕がない時こそ優しくなれるといいですよね・・・
また、目の前で起きている人を、その瞬間助かるのが善か?仕組みづくりを人とお金と時間を注ぎ込んで作るべきか?この話も難しい。
当事者はその場しのぎでも救われたいと思うし、その場を乗り越えられなければ死んでしまうほどに(もしくはアーサーのように人を殺してしまうほどに)困窮する場合もあるわけです。
貧しい人に魚をあげるか、釣りの仕方を教えるか、というやつですね。しかし飢え死にしてしまっては何にもならない。
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②アーサーはジョーカーではない説。
こちらは娯楽としての見方。
「ピエロのお面を被っていたとの情報も…」と報道されていることから、メイクしていたアーサーは殺人を犯していないのではないかという考察。ほかの人のブログにもありましたね。
アーサーは途中、恋人ができる妄想をします。映画を観ている我々は、それが妄想であることに途中まで気づきません。妄想であることが分かった時、映画全体を疑ってみてしまう状態になってしまいます。
もしかしたら、最初に電車の中で、3人のサラリーマンを殺したのは、アーサーではないという見方もできます。その事件をキッカケに街は富裕層への反逆に湧きますが、アーサーはそれに感化されたのではないでしょうか。自分のことをバカにしていた元同僚を殺したのはそのためでは?いやもしかしたら、大衆がピエロの真似をし始めた後に、アーサーも便乗しただけで誰も殺してないのでは?
どんどんと疑って観てしまいます。
まさに道化、翻弄される観客になってしまいました。
おしまい
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